OUR HISTORY
エジックの歴史
OUR HISTORY
エジックの歴史
塗装ブースなんてない。
工場の中にあるものを全部マスキングして窓を締め切って塗装した日々
住宅街の中にある小さな貸し倉庫。
全てはそこから始まった。
やっとの思いで立ち上げた工場。それは都内の住宅地、坂道の途中にある小さな貸し倉庫でした。たった2人で始めたエジック。資金もなければ道具も足りない。
どんな仕事でも、知恵を絞ってなんとかする。
スタートはがむしゃらに突っ走る熱い日々が続きました。
しばらく経つと、エジックに少しづつ人が集まりました。大手の工場から移ってきた人、ベテラン職人、フロント担当。会社を維持するために、仕事が必要でした。
「車で困ったら、ウチに」知り合い、友だち、かたっぱしから声をかけました。工場から駆けつけて、真っ黒に汚れた手で名刺を出して笑われたことも。
一度修理をすれば、評判になる。
そう信じていたからです。
塗装専用の部屋、塗装ブースを置くスペースもなければお金もありませんでした。工場の中で、そのまま塗装する。今では考えられないことです。真夏の工場を閉めきって塗装。猛烈な暑さの中での作業、疲れ果てて公園のベンチで寝ることもよくありました。
新天地、横浜へ
思い切って横浜へ引っ越し。工場が2棟、事務所もできました。塗装ブースも設置、ガンガン作業をこなせます。やっと大手ディーラーと契約を結んで、コンスタントに仕事が入ってくるようになりました。
とはいえ、プレハブのような建物。夏は灼熱、冬は冷蔵庫のような状態でした。
小さな町工場が大きなビルになっても変わらない、確かなもの。
2009年、エジックは現在の本社ビルに移転しました。第2工場もできました。
でも、建物は「入れ物」、その中に入っている設備は「道具」にすぎません。
コンピュータ化、自動化が進んでも、傷ついた車を元に戻せるのは、人の力です。
「大切な愛車を直す」という機械に入力できない「思い」があるからこそ、難しい修理ができるのです。
エジックは、人と人とのつながりを大切にしてきました。
小さな町工場なのに高級車を持ち込んでくれた人、「こんなにキレイに直るんだ」と驚いてくれた人。
信頼してくれた人のために、汗をかき、手を真っ黒にする。
未来の新型車を修理するときも、決して忘れることはないでしょう。